作品について
原題:The Selfish Gene
作者:Richard Dawkins
出版年:1976年
ジャンル: サイエンス
作品概要:
私たち生物体は遺伝子が繁栄するための生存機械である。利他的に見える行動さえも、遺伝子の利己的な「目的」のために過ぎない。この視点に立つことで自然界のあらゆる現象が説明可能なものに見えてくる。本書は、ダーウィンの進化論を軸としている、約40年前に出版された古典的名著で、専門的な内容でありながら複雑な数学的な話は出てこないので、万人に理解できるよう書かれている。
愛とは?
親子などの家族愛は美しく、無償の愛として映る。しかし遺伝子の立場から見ると血縁関係の近しい者を守り育てることが遺伝子生存に有益であるという合理性から生まれた行動である。このような、どこまでもドライなアプローチによる「愛」にまつわる解釈が批判の的となったらしい。しかし、「愛」などという曖昧なものに根拠を求めるよりもフェアなのではないかと思うし、この理論が「人間は生存機械に過ぎず、利己的で価値の無いものだ」などという結論に飛躍してしまう人がいるとしたら、問題はこの理論ではなく別のところにあるのではないかと思う。
男女間の搾取についても述べられている。女性の方が子どもへの愛情が強い、という印象があるがそれは精子と卵子それぞれの性質に由来している。卵子の方が大きく、受精した時点で子どもに多くを投資しているため、自身にとっての重要性が男女で異なる、というものだ。そして多く投資しているが故に子どもが十分に育つまで見捨てることができない。これは「お腹を痛めて産んだから」という考えに通ずるものがあると思う。男女が協力して子育てをするのも、互いの遺伝子を半分ずつ所有しているからであり、自分の遺伝子を受け継いでいない他人の子どもを育てることは大きな浪費となり自身の遺伝子継承の機会損失にもつながる。そのため、自身の子どもか確信が無い場合にその子どもを殺してしまう動物も存在する。
「愛」が崇高で素晴らしいものであるが故に、その存在に縛られている人もいるだろう。家族は愛し合っていなければならず、そうでない者には人としての欠陥がある──そのような風潮に苦しめられ、「家族愛」とは何なのか、と正体のわからない迷路に迷い込んでしまうような人にとっては、わかりやすい一つの指標になるかもしれない。人間が全面的にこのような遺伝子の支配に屈するというわけではないだろうが、「このような原理の下に生き、繁栄している」と理解することで冷静に、一歩引いて考えることができるようになるかもしれない。
文化的遺伝子(ミーム)
人間には先見する能力や考える能力がある。DNAという形での遺伝子は、自然淘汰を通してより繁栄できる遺伝子が残っていくが、そこには「意思」というものは存在しない。人間は、DNAの原理に対抗する術を持ち得るのではないか、とドーキンスは主張する。「ミーム」と彼が名付けたものは、DNAではなく「文化」の遺伝子である。概念や価値観、流行なども遺伝子同様、複製され人から人へ、世代を越えて受け継がれていく。その「意思」は、DNAのように利己的に繁殖していくこともあるだろうが、「利他主義」に傾ける力も持っているのではないだろうか。福祉などの社会システムもその一つだと思う。自然界は弱者を容赦なく切り捨てる。弱いから生き残ることができなかった、ただそれだけのことだ。しかし、弱者を(全員が大なり小なり労力などを寄付することで)コミュニティ全体で救済することを是とする考えは、何億年も前から続く自然の原理への単なる隷属から人間が解放されるための一つの道筋かもしれない。
ゲーム理論
「囚人のジレンマ」※という課題について、どのような方略が最も成功し繁栄するのかという実験を行ったところ、基本的には「協力」の手段をとり、相手が裏切った場合に一度だけやり返すという手段をとるシンプルな方略が最も高い成績を収めたという。この実験では、相手を裏切りより多くを得ようとするよりも協力によって両者の利益を最大化する方が成功しやすいということを示しており、また、相手に裏切られたとしても、やり返しはするがその復讐は短期にとどめることがより大きな利益につながるということも示唆している。
自然界においては、上記のようなことが事実だとしても一定数は「裏切り」や「攻撃」に徹するものが存在しその状態が安定的に持続する(但し、繁栄度は低い)ケースもある。それは、「お互いに裏切りを続けたらどうなるか」ということや「お互いに協力することでどのような利益がもたらされるか」を見通すことができないからだ。このゲーム理論では「いつ終わるかが予測できない状況」であることが前提条件となっている。たった一度だけ(短期)のことであれば裏切ることが最良の選択となる。しかし、長期で見れば「裏切り」は多くの利益をもたらすことができないということを、私たち人間は理解できる。この「見通す力」こそ、私たち人間の特別な能力であり、これを活かさずしてどうして発展できるだろうか。囚人のジレンマのような状況は日常生活にも多く見られる。復讐が連鎖することの愚かさ、長期的な利益の最大化を考えるよりも、他人が自分より得する状況を許容できない嫉妬深さ、誰もがこれらの要素を持っているが、考え先を見通し、何が最良かを判断する力を私たちは持っているのだと改めて教えられた気がした。
なぜ生きるのか
遺伝子の視点から見た生物の解釈は非常に論理的で納得のいくものだった。実際の世界では様々な要因が複雑に絡み合っているので単純化できるものではないが、遺伝子の「成功」は自然淘汰を通じて長く繁栄し続けること、それだけである。それは「個体」次元のことではないため、時には自分という個体が犠牲になり他の個体を助けることもあるだろう。人間も、遺伝子が進化していく過程で都合の良いグループとして寄り集まった形に過ぎず、寿命が来れば乗り捨てられていく。このように見ると冷徹で無機質なものに感じるかもしれないが、その程度の存在に過ぎない生物なのだという気楽さと、古典的な形としての遺伝子ではなく、ミームを紡いでいくという新たな目的を持って生きるという面白さもあるのではないだろうか。この生命観は、宇宙の広大さを垣間見た時の感覚を呼び起こす。
おまけ
科学書だからか?原文に忠実に訳したためか?読みにくさはある。翻訳のせいだけではなくおそらくこの著者の書き方にも少し癖があるのだろうなという感じはするが・・・。
※囚人のジレンマ
共犯のAとBはそれぞれお互いと話し合いができないような状況で下記のような取引を持ちかけられる。
2人とも黙秘を貫けば減刑する(懲役5年を3年にする)。どちらかが自白しどちらかが黙秘した場合は、自白した者は釈放し黙秘した者は2人分の刑(懲役10年)を課す。2人とも自白した場合は減刑無しで懲役5年を課す。
このような状況の時、黙秘と自白、どちらを選択するべきかというジレンマのこと。(2人とも黙秘する場合より片方が裏切った時の利益の方が多い必要がある)
本書で取り上げられた実験では、「協力」(上記の黙秘に当たる)と「背信」(上記の自白に当たる)のカードを出す、という方法だった。