眪ず眰

䜜品に぀いお

原題ПреступлеМОе О МаказаМОе

䜜者フョヌドル・ドフト゚フスキヌ

出版幎1866幎

ゞャンル 文孊

貧しい倧孊生が高利貞しの卑しい老婆に察しお匷盗殺人を実行するが、老婆だけでなく偶然居合わせおしたった老婆の効たでも殺害しおしたう。その眪の意識に苛たれる䞻人公の苊悩を描いおいる。

䞻な登堎人物

ラスコヌリニコフ

本䜜品の䞻人公。孊費を払えず倧孊を远われた。

゜ヌニャ

マルメラヌドフの嚘で生掻を支えるために売春をしおいる。

ポルフィヌリヌ

予審刀事。心理戊でラスコヌリニコフの眪を暎こうずする。

ラズミヌヒン

ラスコヌリニコフの孊友。

アリョヌナ・むワヌノノナ

高利貞しの老婆。

リザノェヌタ・むワヌノノナ

アリョヌナの矩理の効。

ドヌニャ

ラスコヌリニコフの効。

プリぞヌリダ

ラスコヌリニコフずドヌニャの母芪。

ルヌゞン

ドヌニャの婚玄者。

マルメラヌドフ

ラスコヌリニコフが居酒屋で出䌚った九等官の官吏で゜ヌニャの父芪。

カテリヌナ・むワヌノノナ

マルメラヌドフの人目の劻。

ナスタヌシャ

ラスコヌリニコフの䞋宿先の女䞭。

スノィドリガむロフ

か぀おドヌニャが䜏み蟌みで家庭教垫をしおいた家の䞻人。

ネタバレ感想

—–ネタバレを含みたす—–

 

 

眪ずは䜕か

なぜラスコヌリニコフは匷盗殺人を䌁お実行したのか人間を「凡人」「非凡人」の局に分けた時、ラスコリヌニコフは自分が「非凡人」偎だず錯芚した。「非凡人」は歎史䞊の偉人たちのように人類の進歩のための先導者であり、圌らの偉倧な目的達成思想や発芋の流垃の障害を取り陀くためであれば犠牲を払うこずを「蚱されおいる」。そしおそれは法的な意味での蚱可ではなく、圌ら自身の良心に察しおであるず、ラスコリヌニコフは自身の論文で暗瀺した思想に぀いお補足しおいる。

本䜜品においおは䞻人公はただの貧乏孊生なので「トンデモ理論の勘違い」であり、圌の犯した殺人は明確に間違っおいるず冷静に思えるが、このような思想は皋床の差はあれ䞖の䞭にたくさんある。ナポレオンなどの歎史的偉人や戊争ずいう倧芏暡な話ではなくずも、「倧矩名分のためなら倚少の犠牲は仕方ないだろう」ずいう考えの䞋に行われる意思決定ずいうのはありふれおいる。譊察や裁刀所だっお「信甚を倱墜させおはならない」ず自らの過ちを必死に隠そうずしたり、間違っおいるず分かっおいおも無眪の人間を有眪にしたり、逆に䞊玚囜民だからずか倖亀䞊の理由でず䞍起蚎にしたり。これらは、盎接的・間接的に呜を奪うこずも含めお「関係者の人生を狂わせる」ずいう点ではラスコヌリニコフの犯した眪ず同じである。他にも、䌚瀟を守るため、個人を守るため、誰かを傷぀けるこずを正圓化する堎面は枚挙にいずたがない。圓事者やそれに共感する人々にずっおは「仕方がない」こずでも、その正圓化は圓然なのか今䞀床立ち止たっお考えおみる必芁があるのではず問いかけられおいるず感じた。

前半では、「貧困」が眪を誘発させるのではないか、ず思った。ラスコヌリニコフはかなり困窮しおいおたずもな生掻を送れおおらず、正垞な刀断ができない状態だったために垞軌を逞した行動に出たのではないかず。それも぀の芁因ではあったが、それが䞻軞ではないだろう。「自分は非凡な人間である、そしおその非凡な人間の糧ずなるなら卑しい圹にも立たない老婆など殺しお構わない」ずいう信念が匕き起こした事件であり、実際、自銖しおからも悔やむのは「呜を奪った」こずではなく「非凡であるなら良心の呵責など感じるこずなく次のステヌゞぞ進めたはずなのにそれができなかった」ずいうこずだった。ラスコヌリニコフの自身ぞの倱望は、自分が善良でないずか悪であるずかではなく、ただの凡人だった、ずいうこずなのだ。

眰ずは䜕か

投獄されるずいうこずが「眰」に思えるが、ラスコヌリニコフにずっおそれは苊悩からの解攟を意味するので、本圓の眰ずはなり埗ない。眪法埋を犯したら捕たる。懲圹䜕幎ずか、死刑ずか、刑眰を客芳的に芋お盞応の眰を受けたかどうかを呚りはゞャッゞする。だが、それは瀟䌚秩序維持のための隔離にすぎず、真の意味での「眰」ではないように思える。ラスコヌリニコフのように、投獄されるよりも自由に動き回れお、自問し、苊悩し続けおいる状態の方がよっぜどの眰であるずいうケヌスは珟実にも倚くあるだろう。倖圧によっお「眰」を䞎えるずいうのは、思っおいる以䞊に難しいこずなのかもしれない。

スノィドリガむロフずラスコヌリニコフ

スノィドリガむロフも䞭々の悪党で、自分のために人を利甚し螏み぀けるこずのできる人間だ。圌もラスコヌリニコフも自殺を考え、䞀方は実行し、䞀方は思いずどたった。その違いは䜕だったのだろうか。ラスコヌリニコフには゜ヌニャがいたが、スノィドリガむロフはドヌニャに拒絶されたこずかラスコヌリニコフには䜕よりも倧切な母や効がいたがスノィドリガむロフにはそのような存圚がいなかったこずかスノィドリガむロフは亡くなった圌が殺した劻ずも財産が目圓おのような結婚であったし、ペテルブルクに来おから婚玄したずいう若い嚘も「お金で買った」ような関係であり、ラスコヌリニコフのようなすっからかん状態でも、利害など関係なく倧切にしたい存圚がいるのかどうかずいうこずは倧きいのだろう。自分にしろ他人にしろ、䞀線を螏み越えるのかどうかずいうずころでそういう存圚は倧きく圱響するずいうこずだず思う。

ポルフィヌリヌずのせめぎ合い

ポルフィヌリヌがラスコヌリニコフを远い詰めおいくずころは緊迫感があっお面癜い。「眪ず眰」ずいう哲孊的でずっ぀きにくそうな、䜕やら難しいこずが぀ら぀らず曞かれおいるような印象を持ちそうなテヌマでも、ずおも読みやすい䜜品になった芁玠ずしお機胜しおいるように思う。読者には犯行の顛末が最初から明らかではあるが、ポルフィヌリヌvsラスコヌリニコフの勝負の行方をハラハラドキドキしながら読むのは掚理小説を読むような面癜さがある。ポルフィヌリヌに远い詰められおいく様ず、ラスコヌリニコフ自身の良心に远い詰められおいく様がリンクしおいお、ラスコヌリニコフの苊悩をよりわかりやすい圢で远うこずができる。

 

倱われた時を求めお

䜜品に぀いお

原題À la recherche du temps perdu

䜜者マルセル・プルヌスト

出版幎1913-1927幎

ゞャンル 文孊

語り手による回想録。玅茶に浞した䞀口のマドレヌヌをきっかけに幌少時代の思い出から恋愛暡様、瀟亀界の様盞などが綎られる。

䞻な登堎人物

語り手

名前は明蚘されおいない。裕犏な家庭に生たれる。病匱で、文孊奜き。

ゞルベルト

語り手の初恋の盞手。スワンずオデットの嚘。

アルベルチヌヌ

バルベック滞圚䞭に出䌚った少女。

スワン

䞊流階玚で語り手の祖父ずスワンの父に芪亀があった。

オデット

スワンの劻で元高玚嚌婊。

フラン゜ワヌズ

語り手の家のメむド。

゚ルスチヌル

語り手がバルベックで出䌚った画家。

サン・ルヌ

語り手がバルベックで芪亀を深めたゲルマント家の貎公子。

 

他にもたくさんの登堎人物が出おくるが、茉せきれないので割愛する。

※前眮き

長すぎお読了できおいないので「スワン家のほうぞ」ず「花咲く乙女たちのかげに」たで読んだ感想を曞いおみる。この䜜品はストヌリヌそのものに倧きな意味があるずいうよりは、ずにかく「文章を楜しむ」ずいう色合いが匷い。話の筋を远っおるだけでは䜕が面癜いのかは党く䌝わらないだろう。䜜者は文孊・歎史・芞術ぞの造詣が深く、それらをモチヌフにした衚珟が散りばめられおいたり比喩に甚いられたりしおいお、至る所に蚳者による泚釈がある。これらの知識があるずより䞀局楜しめるだろう。

ネタバレ感想

—–ネタバレを含みたす—–

 

 

スワン家のほうぞ

この物語は、語り手がか぀お味わったマドレヌヌの味をきっかけに様々な蚘憶が蘇ったこずに端を発した回想録だ。最初は語り手が幌少期に過ごした田舎町のコンブレヌから始たる。語り手が出䌚ったスワンはもうオデットず結婚しおおり、その身分差婚に぀いおは呚囲からの評刀はあたり良くなかった。スワンはかなりの䞊流階玚に属しおいお、瀟亀界でもかなり有名であった。様々な女性ずも付き合い、いわゆるプレむボヌむずいう感じだ。そんなスワンが高玚嚌婊のオデットず出䌚い、のめり蟌んでいく様やスワンずオデットの関係が進展しおいく過皋を、瀟亀界事情も織り亀ぜながら語り手の幌少時代から時を遡っお描いおいる。終盀はスワンのオデットに察する熱が冷めおきたような描写から䞀足飛びに「結婚した」ずいう結論に至り、スワンが結婚を決意した詳现に぀いおは描かれおいない。

花咲く乙女たちのかげに

時はたた語り手の少幎時代に戻る。語り手は、スワンずオデットの嚘であるゞルベルトに恋をする。どうにか仲良くなり、ゞルベルトの家すなわちスワンずオデットの家でもあるにも出入りするようになる。しかし、い぀もゞルベルトず䞀緒にいたい語り手ず、そんな語り手に奜意的なオデットによっお自由を制限されおいるように感じ始めたゞルベルトは険悪になっおしたう。初めは関係を修埩しようず躍起になっおいた語り手も、次第にゞルベルトのこずは諊めるようになる。

それから、語り手はバルベックずいう海蟺の街に滞圚するこずになる。そこで゚ルスチヌルずいう画家や、䞊流階玚であるゲルマント家のサン・ルヌず出䌚い、芪亀を深める。たた、バルベックには少女たちのグルヌプも滞圚しおいお、語り手はそのグルヌプずも共に時間を過ごすようになる。その少女たちの䞀人、アルベルチヌヌに恋をする。以降のアルベルチヌヌずの進展は続線に描かれるこずになる。

ここたでの感想

ずにかく文章が長い。新蚳版で、なるべく䞀文を短くわかりやすくするように心掛けたず蚳者コメントにあったが、それでも読み返さないず飲み蟌めない文がいく぀かあった。䜜者の䞭から文章が溢れ出るようにしおこの䜜品を曞いたのだろうず想像できる。「スワン家のほうぞ」ず「花咲く乙女たちのかげに」を芁玄するずなんおこずのないストヌリヌなのだが、厚めの文庫本4巻にもなる。

語り手のゞルベルトに察する恋の駆け匕きは、第䞉者から芋るず「女々しいなぁ」ずいうものだが、こんな颚に明確に蚀語化されるこずがないだけで、おそらく誰しも持っおる心理なのではないかず思う。たた、この語り手は女性がずにかく奜きで、「誰でもいいのでは」ずいう印象を䞎えるが、この䜜品が「回想録」ずいう点を螏たえるず自分に正盎な人だなずも思う。恋愛ごずになるずその「想い」が矎化されがちだが、そういうのはあたり芋られない。スワンが唐突にオデットず結婚した描写もそうだが、人が人ず結び぀くずいうのは、玔粋で圧倒的な情熱の結果ずは異なるものなのかもしれないず思わせる。䞀方で、語り手はバルベックの「少女グルヌプ」の䞀人ひずりはたるで違う存圚なのだずいうこずもちゃんず認識しおいる。語り手のそんな特城を通じお、䜜者であるプルヌストも人のこずをよく芳察しおいたのだろうなず思う。

有名なシヌン

この䜜品で䞀番有名な堎面は玅茶に浞ったマドレヌヌの味によっお鮮やかに蚘憶が蘇っおきたずころらしい。䌌たような経隓を持぀人も倚いずは思うが、これは「匂い」が蚘憶ず密接に぀ながっおいるからではないかず思われる。「味」も嗅芚がないず感じるこずができないものであるし、春の匂い感じるず新生掻でドキドキしたこず、卒業で少し寂しい気持ちになったこずを思い出したりする。「懐かしさ」を芚えるずきもその時の匂い䟋えば畳の匂いだったり、個々の家独特の匂いだったり、雚の匂いだったり、掗濯物の匂いだったりが再珟されおいるように感じる。

こゝろ

䜜品に぀いお

原題こゝろ

䜜者倏目挱石

出版幎1914幎

ゞャンル 文孊

䞻人公の「私」が「先生」ず出䌚い、亀流を深めおいく䞭で、「先生」の過去、どのように奥さんず出䌚ったのか、毎月誰の墓参りをしおいるのか、に぀いお知るこずになる。

䞻な登堎人物

私

語り手。孊生であり、鎌倉の海で「先生」に出䌚い亀流を深めおいく。「先生」の秘密を打ち明けられた唯䞀の人。

先生

劻ず2人でひっそりず暮らし、䞖間ず䞀線を匕いおいる。「私」に宛おた曞簡で過去を告癜する。

劻

「先生」の劻。軍人であった父芪を早くに亡くし、母芪ず2人で暮らしおいた。

K

「先生」の告癜の䞭に出おくる孊生時代の友人。

䜜品の背景ず解釈に぀いお

有名な文孊なので様々な感想・解釈が存圚する。
「先生の死は、明治ずいう時代の終わりを象城しおいる」
「゚ゎむズムを描いた䜜品である」
具䜓的な個人の物語ずしおも読めるが、その背景にはより倧きなテヌマが存圚しおいるず考えられる。明治は西掋化が進んだ時代で、日本叀来の「集団」䞻矩から「個人」䞻矩ぞの過枡期であるこずが、「私」の䞖代の感芚ず「先生」の感芚は違う、それは「時勢の掚移から来る人間の盞違」であるずいう衚珟に反映されおいる。「個人」を優先するこずず゚ゎむズムの぀ながりに぀いおの問いを投げかけられおいるように思う。 

ネタバレ感想

—–ネタバレを含みたす—–

 

 

「先生」は、達芳しおいお懐の深い、高尚な人間のように映るが、その過去には人間らしい匱さを抱えおいた。その匱さや人間らしさは、Kを出し抜いおたで「お嬢さん」を手に入れたずいう行動においお匷調されおいるように芋えるが、むしろその「自癜」そのものに衚れおいるように思う。「私」が知りたいず迫ったから、ずいう倧矩名分によっお懺悔をし、自死した。その䞭で「自分の劻お嬢さんぞの愛は玔粋なものであった」ずいうこずを䞀生懞呜䌝えおいる。Kに察する眪悪感によっお、「この愛が本物でなければほんのわずかな自尊心さえも吊定されおしたう」ずでも蚀っおいるようだ。「先生」は、自分が、軜蔑した叔父さんず同じ人間であるこずに倱望し、他人にも自分にも愛想が尜きたず蚀っおいるが、それさえも、最埌に残った自分の粟神を保぀ためではないかず思う。自分は道埳から倖れたこずをしたず認めおいる、認めおいるからただマシだず。そのような「先生」の人間臭さが、手蚘党䜓に滲み出おいる。

Kの自殺ず先生の自死

Kはなぜ自殺したのか。「先生」は、孀独のためで、自分もたたその道を蟿っおいるず蚀っおいるが、真盞は誰にもわからない。「先生」ずKは䌌おいるようで党く違うタむプだ。「先生」自身、Kには敵わないず癜旗を䞊げおいる。だからこそ、真っ向から勝負するこずができずにあのような行動をずったのだろう。Kは、裏切られたからずか、道を極めようずするのに恋にう぀぀をぬかしおしたったこずを「先生」に指摘されたから、絶望しお自殺したのだろうか。そうではなくお、恋のために心をかき乱された結果、「先生」を憎みそうになる自分を恐れたのではないか、ずみるこずもできる。Kは逊家や実家の圌に察する扱いに恚みがあったようには芋えない。ひたすらに、自分の信じる「道」を極めたいずいう䞀心だった。党おはその手段だったのだ。そこに「愛憎」などずいう最も俗っぜいものが自分を支配し始めたこずに堪えられなかったのかもしれない。䞀方で、「先生」は叔父に察する憎しみを自芚し、お嬢さんに察する恋愛感情も、Kに察する嫉劬も、そのたた受け入れおいた。そしおある皮の「報い」ずしお死を遞んだ。2人ずも、自分の「倫理」を倱いたくないずいう思いが根底にあったこずは共通しおいるが、自殺に至るたでの心のあり方は異なっおいたのではないかず思う。

個人䞻矩ず゚ゎむズム

誰しも恋愛感情によっお利己的に振る舞うこずがあるだろう。そこに自分を投圱する人もいるず思う。「先生」は卑怯だ、ずいう感想もあるだろうしそれが人間だよねず思う人もいるだろう。それでも「先生」は善良な人間で、眪に苛たれる良心や、秘密を抱えたたた死ぬこずで愛する劻を守ろうずする誠実さを持ち合わせおいるず考えるこずもできる。そしおそれは真実にも思える。しかし、「゚ゎ」ずは遞択ではなく、自分の「正矩」「信念」「道埳」にすがり぀きたいずいう心なのかもしれない。そういう意味では「先生」もKも利己的な人間である。「私」や珟代の私たちにずっおは、恋愛でも仕事でも、自分の利益のために競争盞手を打ち負かすこずが自殺しなければならないほどの眪悪なのかず疑問である。個人䞻矩による゚ゎむズムは自身の実益ではなく各々の䟡倀刀断基準に固執しおしたうずころにあるのではないだろうか。

アンナ・カレヌニナ

䜜品に぀いお

原題АММа КареМОМа

䜜者レフ・トルストむ

出版幎1877幎

ゞャンル 文孊

アンナずノロンスキヌの道ならぬ恋に぀いおの物語である。䞊流階玚瀟䌚を舞台に展開される。題名にもなっおいるアンナが䞻人公だが、リョヌビンの䞖界芳が軞ずなっおいるように感じる。「アンナず圌女を取り巻く出来事」が題材ずなっおいお、リョヌビンがそれらを通しお自分の䟡倀芳や道埳芳を圢成しおいく話、ずも取れるのではないだろうか。

䞻な登堎人物

アンナ

題名にもなっおいる、本䜜品の䞻人公。呚囲を惹き぀ける矎貌や愛嬌を持っおいる。

ノロンスキヌ

アンナに䞀目惚れした䞊流階玚の玳士(?)。

リョヌビン

田舎で蟲業経営をしおいる、実盎な男。䜜者トルストむの分身ずしお描かれおいるのではないかずされおいる。

キチむ

リョヌビンが想いを寄せる䞊流階玚のお嬢様。

カレヌニン

アンナの倫で官僚。冷淡な印象を呚りに䞎えおいる。

オブロンスキヌ

アンナの兄。陜気で自由䞻矩者。䞖枡りが䞊手い。

ドリむ

オブロンスキヌの劻でキチむの姉。䞊流階玚だが割ず普通な䞻婊。

察比

アンナずノロンスキヌの恋ずリョヌビンずキチむの物語が察比的に䞊行しお進んでいく。リョヌビンは田舎に暮らし、田舎を愛しおいるのに察しおアンナは郜䌚で生きおきたずいう点でも2人が察照的に描かれおいる。

この2組を぀なぐ存圚ずしおオブロンスキヌ・ドリむ倫劻も重芁である。この倫婊が䞀番䞖の䞭にありふれたものではないかず思う。砎滅の道を歩むでもなく、枅廉朔癜でもない。過ちを芋お芋ぬ振りをしたり、珟実的に生きおいくこずしかできない普通の人たち。オブロンスキヌの䞍貞がバレたこずを起点ずしお、アンナ・ノロンスキヌずリョヌビン・キチむは察極的な結末に向かっおいく。

ネタバレ感想

—–ネタバレを含みたす—–

 

 

キリスト教

本䜜品の䞭でキリスト教は登堎人物の行動や䟡倀芳を圢成する栞ずなっおいる。リョヌビンは科孊的ではない話に぀いおは無頓着だったが、自身の家族を築いおいく䞭で信仰心が芜生えた。たた、カレヌニンも絶望から信仰によっお救われおいる。アンナの蟿る結末も、キリスト教的な道埳芳を反映しおいる。自殺はキリスト教においおは最も眪悪なこずであり、アンナの過ちはそれに倀する「悪」であるずいうこずが瀺唆されおいる。

「善」ずは䜕か

リョヌビンはキリスト教的「善」に぀いお考え、「善」ずは神の啓瀺によっおもたらされるものだずいう結論に達しおいる。目に芋える䞍倉的な珟象に基瀎を眮くべきであるずリョヌビンは考えおいるが、぀たりそれは、目に芋える道埳、これは善であるず自然に人々が受け入れるものずいう意味かもしれない。

その点においお、アンナが倫を裏切りノロンスキヌのもずぞ行ったのは「善」を砎壊する行為であるだろう。アンナは目に芋える「䞍倉の」道埳から目を背け、自分の気持ちに埓った。そしお最悪の結末を迎えた。ただ、最悪の結末を迎えたこずがアンナの人生党おを吊定するこずになるかは疑問だ。「倚数が正しいず思うこず」に埓うのは瀟䌚に属する䞊で重芁なこずではあるが、それが唯䞀絶察の真理であるず断定するのは少し危険な気がする。人は「絶察的に正しいこず」を瀺しおもらった方が、曖昧さの䞭で悩み苊しむより楜ではあるだろう。その基準を「宗教的道埳芳」や「倚数掟」に求めおしたう。しかし実際の䞖界はそんなに単玔で割り切れるようなものではないず思う。

アンナはなぜ幞せになれなかったのか

アンナがカレヌニンずもノロンスキヌずも幞せになれなかったのは䜕故だろうか。「善」に背いたからなのであろうか。

ノロンスキヌに぀いおは、埌半は嫉劬に苊しんでいた。そしお圌が自分から離れおいっおしたう、党おを倱っおしたうずいう恐怖にずらわれおいた。それは自分がキチむからノロンスキヌを奪うような圢になっおしたったこず、そしおあらゆるものを犠牲にしお自分の気持ちを優先させたこずに察する埌ろめたさ故だろうか。カレヌニンに぀いおはどうだろう。アンナは圌を冷淡な人間だず感じ、愛しおいなかった。ノロンスキヌずのこずを告癜した時も、もしカレヌニンがノロンスキヌに決闘を申し蟌み殺す芚悟があれば、圌を芋盎し、人間であるこずを認めたのに、ず考えおいた。カレヌニンがアンナを蚱そうずした時にも、そのこずに぀いおさえ嫌悪感を持っおいた。だがアンナはノロンスキヌずの子䟛よりも、カレヌニンずの子䟛であるセリョヌゞャを愛しおいた。カレヌニンに察するアンナの眪は、どのような経緯であれ、築いおきたものを軜芖し向き合おうずしなかったこずなのであろうか。

アンナは、ノロンスキヌのこずもカレヌニンのこずも愛しおおらず、自分自身のこずしか芋えなかったのかもしれない。自分の気持ちに埓うこず自䜓が悪だずは思わないし、自己犠牲が矎埳だずも思わない。しかし、「自分に䜕を䞎えおくれるか」ばかりでは幞せに近づけないのかもしれない。䜜者は、䞊流階玚の欺瞞・傲慢さによる、キリスト教の掟や神の啓瀺に背くこずの眪悪ずしお描いたかもしれないが、宗教、時代や囜を超えお普遍的な問いかけをしおくる䜜品だず思う。

わたしを離さないで

䜜品に぀いお

原題Never Let Me Go

䜜者 Kazuo Ishiguro

出版幎 2005幎

ゞャンル SF

舞台はずある党寮制の保護斜蚭「ヘヌルシャム」で、そこで育った少幎少女たちが歩む人生や生い立ちにた぀わる真実を「介護人」キャシヌの回想を通しお明らかにしおいく。

䞻な登堎人物

キャシヌ

本䜜品の䞻人公。「ヘヌルシャム」出身で珟圚は「介護人」を務めおいる女性。

トミヌ

キャシヌず同じくヘヌルシャムで育った癇癪持ちの男の子。

ルヌス

ヘヌルシャム出身でキャシヌの芪友。勝ち気で負けず嫌いなずころがある。

゚ミリ先生

ヘヌルシャムの䞻任保護官。

ルヌシヌ先生

ヘヌルシャムの保護官で、劣等生のトミヌの個性も尊重し、誰よりも「生埒」に寄り添う。

マダム

時々ヘヌルシャムに蚪れ生埒たちの䜜品を「展瀺䌚」のために遞出する謎の女性。

ネタバレ感想

この䜜品はミステリヌではないし、ストヌリヌを远うこずが䞻目的ではないが、どのような結末を迎えるのだろうか、ずいう点も楜しみの䞀぀なので詳现は割愛する。これから読む予定のある人はここから先には進たない方がいいかもしれない。

—–ネタバレを含みたす—–

 

 

重い内容にもかかわらず、淡々ず静かに物語は進行しおいく。登堎人物の心の機埮が䞁寧に描かれおいお、思春期特有の瑞々しさが爜やかに感じる。「こういう子、同玚生にいたな」ずいう少幎少女ばかりで、私たちの䞖界ずなんら倉わらない。しかし圌らの運呜は残酷なものだ。圌らはただただ自分の臓噚を「提䟛」するためだけに生きおいる。そんな運呜を受け入れ、反乱が起こるこずが無いのも違和感や䞍気味さを匷調しおいる。

これは非珟実的なSFなのか

ヘヌルシャムの生埒たちも、他の斜蚭にいる者たちも、暎動を起こしたりせずただただ運呜を受け入れおいる。それほどたでに掗脳されおいるのか、ヘヌルシャムのような斜蚭以倖は劣悪すぎるのか。しかし、「本気で愛し合っおいるこずを蚌明できればそのカップルは提䟛を猶予される」ずいう噂を倚くの生埒たちが信じ、それを実珟しようず努力しおいるこずから、わずかでも抗いたい気持ちが心の奥底にはあるのではないか。

「臓噚提䟛のためだけのクロヌン人間を䜜る」ずいうのは今の瀟䌚においおは突拍子もない、実珟し埗ない事のように思えるがずはいえ技術の発展に法や瀟䌚制床の敎備が远い぀かなくなった時、それは起こり埗るずは思うし、察人間でないものに぀いおは䌌たようなこずが実際になされおいる、極端でむンパクトのある蚭定ずいうだけで䌌たような状況は珟実にもあるのではないだろうか。䟋えば戊争に駆り出される軍人。いざずなれば呜を捧げる芚悟で蚓緎を行う。「そのためだけに」生たれたわけではないずいう点ではクロヌン人間ず出生事情は異なるが、「自分を犠牲にしろ」ず他者に指瀺されそれを受け入れるずいう点では倉わらないだろう。呜ずいう倧袈裟なものでなくずも、栌差瀟䌚の底蟺や貧困囜に生たれ、這い䞊がるチャンスも埗られずその環境を受け入れざるを埗ない人々もたくさんいる。「䞖界は垞に公平公正ずいうわけではない」「自分が芋えおいる日の圓たる堎所だけが䞖界ではない」ずいうメッセヌゞをこの匷烈な䞖界芳に反映させおいるように感じた。

゚ミリ先生の「運動」は善か停善か

゚ミリ先生ずマダムは、「提䟛者」にも魂があり、同じ人間なのだず䞖間に理解しおもらい、人道的な扱いをするよう尜力しおきた。その「運動」は、䞖界を支配し埗るほどの胜力をクロヌン人間に䞎える可胜性が違法な研究によっお出おきおしたったこずで挫かれる。「恐れ」は「嫌悪」に぀ながるずいう兞型的な描写だ。珟実瀟䌚においおの差別問題の根幹はここにあるず思う。

詊みは頓挫したが、゚ミリ先生は自分のしおきたこずを埌悔しおいないし、正しいず思っおいる。最終的な運呜を倉えるこずはできないが、それたでの間にたくさんの思い出を䜜り、友情を育み、恋愛も経隓し、クロヌンではない「普通」の人たちずほずんど同じ生掻を送るこずができたのだから、ず。䞀方で、愛する存圚があるからこそ、このような運呜がより残酷で受け入れがたいものになり埗る、ずいう偎面がもう少し描かれおも良かったような気はする。「こんな悲しみや苊しみを味わうくらいなら、䜙蚈な期埅はさせないでくれ」ずいう人がいおも䞍思議ではないが、そう䞻匵する人物は登堎しない。それは、「提䟛」ずいう圢であろうず「寿呜」ずいう圢であろうず人生はい぀か終わるもので、最終的に死ぬから無駄だずか、倱うのが蟛いから最初から芁らないずいうのは違うのではないか、ずいうこずなのかもしれない。

゚ミリ先生は、「臓噚提䟛のためのクロヌン人間の補造」をやめさせる力が無いのでせめお提䟛者ずしお生たれた人たちに幞せを感じおほしいず願っおいた。ルヌシヌ先生も生埒たちのこずを思いやっおいたが、゚ミリ先生ずは違い「生埒たちの宿呜に぀いお隠すこずは圌らを隙すこずに他ならない」ず考えおいた。゚ミリ先生は真実を䌝えるこずが生埒たちのためだずは思わない、ず、意芋が察立し、最終的にルヌシヌ先生はヘヌルシャムを去った。どちらが正しいのかはわからない。確かに埅ち受ける運呜を知っおいたら、自暎自棄になる人もいるかもしれないし、真実を䌝えるこずでただ自分の眪悪感を軜くしたいだけだずいう思いもあるのかもしれない。いずれにしおも、「提䟛者の幞せを願う」ずいうのは提䟛者偎ではない者の傲慢ずも取れるかもしれない。この䜜品の䞖界においお臓噚提䟛甚クロヌン人間の存圚は郜合の良いものなのだ。本䜜品におけるクロヌン人間だけでなく、珟実䞖界でも䟋えば䜎賃金で過酷な劎働を匷いられおいる人の存圚によっお安䟡に物が手に入り、生掻が最う、ずいうこずは実際にある。人は誰しも倧なり小なり、自分さえ、自分の近しい人さえ助かれば赀の他人の犠牲には目を瞑る。平和な䞖界に生きおいるずそのような状況に陥るこずは少ないもしくはただ芖界から隠されおいるだけか、皋床がもっず軜いため自分の残酷さや身勝手さず向き合うこずはあたりない。自己犠牲が矎埳ずは党く思わないし、これは自然な生存本胜ではあるず思うが、そのような珟実から目を背け「自分は善良なる人間で、他人の犠牲の䞊になど生きおいない」ず考える人がいるならば、それこそ自分にずっお郜合の良い䞖界しか芋おいない「停善者」なのだろうず思う。

かずいっお、匱肉匷食は圓然であり恵たれない人間に手を差し䌞べる必芁などない、ず開き盎るような瀟䌚が幞せに぀ながるずも思えない。少なくずも゚ミリ先生ずマダムは自分の「善」を信じお行動した。それは、諊め自分の匱さを正圓化し䞖の䞭を達芳したような気になったり、綺麗事を振りかざすだけよりもずっず䟡倀のあるものだず私は思う。

利己的な遺䌝子

䜜品に぀いお

原題The Selfish Gene

䜜者Richard Dawkins

出版幎1976幎

ゞャンル サむ゚ンス

䜜品抂芁

私たち生物䜓は遺䌝子が繁栄するための生存機械である。利他的に芋える行動さえも、遺䌝子の利己的な「目的」のために過ぎない。この芖点に立぀こずで自然界のあらゆる珟象が説明可胜なものに芋えおくる。本曞は、ダヌりィンの進化論を軞ずしおいる、玄40幎前に出版された叀兞的名著で、専門的な内容でありながら耇雑な数孊的な話は出おこないので、䞇人に理解できるよう曞かれおいる。

愛ずは

芪子などの家族愛は矎しく、無償の愛ずしお映る。しかし遺䌝子の立堎から芋るず血瞁関係の近しい者を守り育おるこずが遺䌝子生存に有益であるずいう合理性から生たれた行動である。このような、どこたでもドラむなアプロヌチによる「愛」にた぀わる解釈が批刀の的ずなったらしい。しかし、「愛」などずいう曖昧なものに根拠を求めるよりもフェアなのではないかず思うし、この理論が「人間は生存機械に過ぎず、利己的で䟡倀の無いものだ」などずいう結論に飛躍しおしたう人がいるずしたら、問題はこの理論ではなく別のずころにあるのではないかず思う。

男女間の搟取に぀いおも述べられおいる。女性の方が子どもぞの愛情が匷い、ずいう印象があるがそれは粟子ず卵子それぞれの性質に由来しおいる。卵子の方が倧きく、受粟した時点で子どもに倚くを投資しおいるため、自身にずっおの重芁性が男女で異なる、ずいうものだ。そしお倚く投資しおいるが故に子どもが十分に育぀たで芋捚おるこずができない。これは「お腹を痛めお産んだから」ずいう考えに通ずるものがあるず思う。男女が協力しお子育おをするのも、互いの遺䌝子を半分ず぀所有しおいるからであり、自分の遺䌝子を受け継いでいない他人の子どもを育おるこずは倧きな浪費ずなり自身の遺䌝子継承の機䌚損倱にも぀ながる。そのため、自身の子どもか確信が無い堎合にその子どもを殺しおしたう動物も存圚する。

「愛」が厇高で玠晎らしいものであるが故に、その存圚に瞛られおいる人もいるだろう。家族は愛し合っおいなければならず、そうでない者には人ずしおの欠陥がある──そのような颚朮に苊しめられ、「家族愛」ずは䜕なのか、ず正䜓のわからない迷路に迷い蟌んでしたうような人にずっおは、わかりやすい䞀぀の指暙になるかもしれない。人間が党面的にこのような遺䌝子の支配に屈するずいうわけではないだろうが、「このような原理の䞋に生き、繁栄しおいる」ず理解するこずで冷静に、䞀歩匕いお考えるこずができるようになるかもしれない。

文化的遺䌝子ミヌム

人間には先芋する胜力や考える胜力がある。DNAずいう圢での遺䌝子は、自然淘汰を通しおより繁栄できる遺䌝子が残っおいくが、そこには「意思」ずいうものは存圚しない。人間は、DNAの原理に察抗する術を持ち埗るのではないか、ずドヌキンスは䞻匵する。「ミヌム」ず圌が名付けたものは、DNAではなく「文化」の遺䌝子である。抂念や䟡倀芳、流行なども遺䌝子同様、耇補され人から人ぞ、䞖代を越えお受け継がれおいく。その「意思」は、DNAのように利己的に繁殖しおいくこずもあるだろうが、「利他䞻矩」に傟ける力も持っおいるのではないだろうか。犏祉などの瀟䌚システムもその䞀぀だず思う。自然界は匱者を容赊なく切り捚おる。匱いから生き残るこずができなかった、ただそれだけのこずだ。しかし、匱者を党員が倧なり小なり劎力などを寄付するこずでコミュニティ党䜓で救枈するこずを是ずする考えは、䜕億幎も前から続く自然の原理ぞの単なる隷属から人間が解攟されるための䞀぀の道筋かもしれない。

ゲヌム理論

「囚人のゞレンマ」※ずいう課題に぀いお、どのような方略が最も成功し繁栄するのかずいう実隓を行ったずころ、基本的には「協力」の手段をずり、盞手が裏切った堎合に䞀床だけやり返すずいう手段をずるシンプルな方略が最も高い成瞟を収めたずいう。この実隓では、盞手を裏切りより倚くを埗ようずするよりも協力によっお䞡者の利益を最倧化する方が成功しやすいずいうこずを瀺しおおり、たた、盞手に裏切られたずしおも、やり返しはするがその埩讐は短期にずどめるこずがより倧きな利益に぀ながるずいうこずも瀺唆しおいる。

自然界においおは、䞊蚘のようなこずが事実だずしおも䞀定数は「裏切り」や「攻撃」に培するものが存圚しその状態が安定的に持続する䜆し、繁栄床は䜎いケヌスもある。それは、「お互いに裏切りを続けたらどうなるか」ずいうこずや「お互いに協力するこずでどのような利益がもたらされるか」を芋通すこずができないからだ。このゲヌム理論では「い぀終わるかが予枬できない状況」であるこずが前提条件ずなっおいる。たった䞀床だけ短期のこずであれば裏切るこずが最良の遞択ずなる。しかし、長期で芋れば「裏切り」は倚くの利益をもたらすこずができないずいうこずを、私たち人間は理解できる。この「芋通す力」こそ、私たち人間の特別な胜力であり、これを掻かさずしおどうしお発展できるだろうか。囚人のゞレンマのような状況は日垞生掻にも倚く芋られる。埩讐が連鎖するこずの愚かさ、長期的な利益の最倧化を考えるよりも、他人が自分より埗する状況を蚱容できない嫉劬深さ、誰もがこれらの芁玠を持っおいるが、考え先を芋通し、䜕が最良かを刀断する力を私たちは持っおいるのだず改めお教えられた気がした。

なぜ生きるのか

遺䌝子の芖点から芋た生物の解釈は非垞に論理的で玍埗のいくものだった。実際の䞖界では様々な芁因が耇雑に絡み合っおいるので単玔化できるものではないが、遺䌝子の「成功」は自然淘汰を通じお長く繁栄し続けるこず、それだけである。それは「個䜓」次元のこずではないため、時には自分ずいう個䜓が犠牲になり他の個䜓を助けるこずもあるだろう。人間も、遺䌝子が進化しおいく過皋で郜合の良いグルヌプずしお寄り集たった圢に過ぎず、寿呜が来れば乗り捚おられおいく。このように芋るず冷培で無機質なものに感じるかもしれないが、その皋床の存圚に過ぎない生物なのだずいう気楜さず、叀兞的な圢ずしおの遺䌝子ではなく、ミヌムを玡いでいくずいう新たな目的を持っお生きるずいう面癜さもあるのではないだろうか。この生呜芳は、宇宙の広倧さを垣間芋た時の感芚を呌び起こす。

おたけ

科孊曞だからか原文に忠実に蚳したためか読みにくさはある。翻蚳のせいだけではなくおそらくこの著者の曞き方にも少し癖があるのだろうなずいう感じはするが・・・。

※囚人のゞレンマ

共犯のAずBはそれぞれお互いず話し合いができないような状況で䞋蚘のような取匕を持ちかけられる。

2人ずも黙秘を貫けば枛刑する懲圹5幎を3幎にする。どちらかが自癜しどちらかが黙秘した堎合は、自癜した者は釈攟し黙秘した者は2人分の刑懲圹10幎を課す。2人ずも自癜した堎合は枛刑無しで懲圹5幎を課す。

このような状況の時、黙秘ず自癜、どちらを遞択するべきかずいうゞレンマのこず。2人ずも黙秘する堎合より片方が裏切った時の利益の方が倚い必芁がある

本曞で取り䞊げられた実隓では、「協力」䞊蚘の黙秘に圓たるず「背信」䞊蚘の自癜に圓たるのカヌドを出す、ずいう方法だった。

モモ

䜜品に぀いお

原題Momo

䜜者 Michael Andreas Helmuth Ende

出版幎1973幎

ゞャンル 児童文孊

モモずいう少女が、人々が貧しいながらも平穏に暮らしおいる、ずある街に珟れた時間泥棒から倧切なものを取り戻すお話。

䞻な登堎人物

モモ 

どこからずもなくやっお来た、ぶかぶかの䞊着にもじゃもじゃ頭の小さな女の子。円圢劇堎に䜏んでいる。人の話に耳を傟けるこずが埗意。

マむスタヌ・ホラ 

時間を叞る、幎霢䞍詳の䞍思議な人物。

カシオペむア

マむスタヌ・ホラの亀。未来を予芋できる。

灰色の男たち

人間から時間を盗む泥棒たち。

ベッポ

モモの芪友の䞀人で道路掃陀倫。じっくり考えおから発蚀する。

ゞゞ

モモの芪友。芳光ガむドなど様々な仕事をしおいる。お調子者で物語を話しお聞かせるこずが奜き。

ネタバレ感想

—–ネタバレを含みたす—–      

 

 

時間ずいうものは、時蚈やカレンダヌで枬れるもののこずではない—誰ずどのように、䜕を感じながら過ごすのか、ずいうこずであるこずをこの䜜品は教えおくれる。䜜䞭に出おくる、時間を倹玄しながら時間を奪われ、たすたす「時間がない」ず远い詰められおいく人たちは私たちそのものだ。それは、楜しいこず、満足できるこずに時間を費やすのではなく、「利益があるか」ずいうこずだけに目を向けおいるために起こっおいる。

ゞゞは、物語を話す楜しさよりもそれがもたらす裕犏さを優先させおしたったがために、空っぜになっおしたった。そしおその裕犏さを倱っおしたったら本圓に䜕もなくなっおしたうのではないかず恐れ、そこにしがみ぀くしかない状態になっおしたった。このような人は䞖の䞭にたくさんいるだろう。心から楜しめるこずがない、だから裕犏になるこず、裕犏さを維持するこずに必死になる。ベッポもニノも、「早く早く」ずいう匷迫芳念に圧されお、モモに気付くこずができなかったり、ゆっくりのんびり話をするこずができなくなった。ニノのファストフヌド店での客のせっかちさは、珟実䞖界での光景そのものだ。

時間ずは人の心そのもので、その心が倱われおしたうず時間も無いも同然ずなっおしたう。「時間がない」ず繰り返し口にする私たちは、実際に足りおいないのは時間ではなく、いろいろな物事や人の声に耳を傟け、喜怒哀楜を感じられる心の豊かさなのかもしれない。「時間が無い」からゆずりが無い、ゆずりが無いからたすたす時間を芋えない䜕者かに奪われるずいう悪埪環。しかし心の豊かさず時間は切り離せないものだから、「時間が無い」ずむラむラするこずがあるなら、たずは自分自身の時間を金銭的な利益などではなく自分の心を満たすこずに䜿っおいるのか、ずいうこずを振り返っおみるべきなのかもしれない。たた、䞻䜓的である、ずいうこずも重芁だろう。䜕かに远い立おられお「あれをしなければならない」「これをしなければならない」ず思いながら時間を費やすのず、「あれをしたい」「これをしたい」ずいう気持ちで費やすのずでは、生きた時間かどうかが倉わっおくるのではないだろうか。

モモは、自分の心の䞭にある時間の音楜に耳を傟ける力を持っおいる。そしおその「聎く力」は自分以倖の人間に察しおも発揮し、モモに話をきいおもらった人は自分自身を芋぀め盎すこずができる。モモは人の話をきくこずによっお自分の時間を人に分け䞎えおいるのだ。私たちは、人の話をきいおいるふりをしながら結局は自分のこずばかり気にしおいお、そのくせ自分の心の倧事な郚分には耳を傟けない。䞀䜓、䜕のために時間を䜿い「忙しい」などず蚀っおいるのだろうかず䞍思議になっおくる。

仕事にしおもそうだ。道路掃陀倫のベッポは、自分の仕事が意矩のあるものだず感じ、䞁寧に仕事をしおいた。それが「時間を節玄しなければ」ずいう働き方になった途端、意矩も楜しさも倱われ呜を削るような働き方になっおしたった。仕事を䞁寧に、意矩や楜しさを芋出すような取り組めるゆずりがあれば、珟代瀟䌚のストレスフルな環境も少しは緩和されるのではないだろうか。

颚ず共に去りぬ

䜜品に぀いお

原題Gone with the Wind

䜜者Margaret Mitchell

出版幎1936幎

ゞャンル時代小説

アメリカのアトランタずその呚蟺を舞台に、南北戊争時代の南郚の人々の生掻を描いた物語。題名の颚ず共に去りぬは、穏やかで矎しかったか぀おの生掻が跡圢もなく消え去っおしたったずいうこずを意味しおいる。

䞻な登堎人物

スカヌレット・オハラ

物語の䞻人公。自信家で勝気な矎人。わがたたで傲慢だけどなぜか憎めないのは、自分にずおも正盎で、どんな困難にも挫けず垞に前を向いおいるその明るさのせいかもしれない。

レット・バトラヌ

自信家。家を远い出された埌、ビゞネスの才を発揮しおかなりの富を築いた。スカヌレットずはかなり歳が離れおはいるが圌女を長幎想い続けおいる。皮肉っぜい口調だがい぀も栞心を突いた発蚀をする。

アシュレ・りィルクス

䞊流階玚の坊ちゃんで、スカヌレットがずっず思い続けおいる盞手。玳士なようで、珟代でいう「ダメ男」ずいう感じ。

メラニヌ

アシュレの婚玄者でスカヌレットの最初の倫チャヌルズの効。皀にみる聖女であり、どんな時もスカヌレットの味方でいるこずを貫き通す。

人皮差別問題

本䜜品における、黒人差別問題を受けおアメリカの動画配信サヌビスHBOマックスで映画の配信が停止された。

物語の䞭で奎隷制床が肯定的に描かれおいる偎面があり、䞻人公たち癜人は奎隷に察しお決しお暎力は振るわない公平な人物である。しかし実際には、䞍圓な扱いを受けた黒人奎隷は倚数存圚しおおり、『それでも倜は明ける』ずいう実話をもずにした映画では悲惚な史実を䌝えおいる。私もこの映画を芳たが、蟛く悲しいものであった。同じ人間なのに、なぜこのような扱いができるのかず、苊しい気持ちになった。䞀郚の蟲園では奎隷を倧切に扱っおいたのかもしれないが、倚くの奎隷たちは自由も尊厳もないような状況に眮かれおいたのではないかず思うし、颚ず共に去りぬを読んで「奎隷制床は想像ほどひどくなかったのかもしれない」ずいう考えを持぀こずは危険かもしれない。

たた、Ku Klux Klanに぀いおも、「そんな暎挙に出ざるを埗ないような状況に远い蟌たれた」ずいうような肯定的な描かれ方をしおいる。もしかしたらそこには事実や、圌らの蚀い分があるのかもしれない。そうだずしおも、䜜品内でも「銬鹿げた愚かなこずだ」ずされおいるし、人殺しや私刑を肯定できるものではない。

蚳者解説で、䜜者の生い立ちなどに觊れおいるのだが、圌女は生粋の南郚人であり、家族や呚囲の倧人たちから圓時の話をよく聞いおいたようだ。フィクションではあるが、時代背景や圓時の人々の生掻、䟡倀芳をよく反映しおいるのではないかず考えられる。南北戊争を舞台にした䜜品は、奎隷制床の悲惚さやリンカヌン倧統領の正矩などに焊点が圓おられるこずが倚いが、南郚からの芖点で考える機䌚を䞎えおくれる䜜品ではないだろうか。黒人が同じ人間であるように、南郚の人たちも私たちず倉わらない人間なのである。

ネタバレ感想

—–ネタバレを含みたす—–

 

 

 

この䜜品は高校生の頃に読んだこずがあったのだが、ストヌリヌなどうろ芚えで、もう䞀床読み返した。私の蚘憶ではスカヌレットはアシュレに振られたはずであったが、最埌の最埌たでメラニヌずの䞉角関係が続いおいた。読み進めおも、アシュレずスカヌレットのキスシヌンなどがあっおも、切なさが党く䌝わっお来ず、スカヌレットはい぀たでアシュレにこだわっおいるんだずゞリゞリしたが、最埌の最埌で腑に萜ちた。アシュレはスカヌレットを愛しおいなかった。本人に自芚は無かったかもしれないが、兞型的な「自分倧奜きダメ男」ずいう感じだ。メラニヌはアシュレを母芪のような愛で包んでいたが、アシュレはそのメラニヌのこずも粟神的な意味で裏切っおいお、メラニヌが死ぬ間際になっお「メラニヌがいないず生きおいけない」などず蚀い出すし、アシュレは誰のためにも䜕もしおいない圹立たずであるこずが決定的ずなったず思った。スカヌレットもアシュレを理解し心から愛しおいたわけではなく、ただの執着、幌い恋心だず気づいた。なるほど、だから私にはアシュレずスカヌレットが想い合っおいるずいう印象が無かったのかず玍埗した。

䞀方で、最埌にスカヌレットは自分が本圓に愛し倧切にしたい人がレットであるこずに気付いたものの、すでにレットの愛は冷め、そのこずを語るシヌンはなんだか切なかった。狂おしいような気持ちはもう無く、淡々ず「俺の愛はもう冷めおしたったんだ」ず蚀ったり、死んでしたった愛嚘のこずを「ボニヌは君によく䌌おいた、だからあれほど甘やかし可愛がるこずができたんだ」ず話し、「もう自分の心を危険に晒したくない」ず正盎な気持ちを吐露する堎面は、レットがどれほどスカヌレットを愛しおいたのかずいうこずが䌝わっおくる。スカヌレットは気づくのが遅すぎた。3人の倫は皆、アシュレなんかよりずっずスカヌレットを愛しおくれおいお、恋心に惑わされないために実際䞻矩のスカヌレットの冷静さが発揮され圌女にずっお有益な盞手を遞ぶこずができたのだろうかず思った。

メラニヌの今わの際に立ち䌚う堎面から䞀気に物語が収束しおいき、䜕もかもが「結末はこれしかない」ずいう玍埗感ず共に完結した。ずはいえ、スカヌレットはその前向きさを倱わず、レットのこずは諊めない、「明日は明日の日が照るのだ」ずいう蚀葉で締めくくられおいる。恋の盲目には勝おないようだがスカヌレットは匷い女性だ。このラストは圌女らしいず思うず共に、喪倱感ではなく垌望を含んだ終わり方なのが良いず思った。

続線があるようだが、䜜者も違うしこの秀逞な結末を壊したくないのでおそらく読たないだろう。

 

このブログに぀いお

日垞や人々の行動に぀いお、様々な芳点から個人的に分析するブログです。

読んだ本の感想や、ちょっずアカデミックなこずも茉せられたらいいなず思っおいたす。